レポート

イベントレポート|『次代の学びと活力創造』

2025/05/08

はじめに

2025年3月8日、これからの教育のあり方を多様な視点から考えるイベント「次代の学びと活力創造」を開催しました。

今回は、活力共創研究所と、本イベントの登壇者でもある初田幸隆さんが塾長を務める教育睛隆塾との共同開催で実施しました。教育睛隆塾とは、京都市教育委員会の初田幸隆さんによって設立された私塾です。「教育を志す者が立場を超えて語り合う場」として100名を超える塾生が集まり、日々熱い議論が展開されています。

ゲスト登壇者としては、哲学者・教育学者の苫野一徳さん、追手門学院中・高等学校教頭の辻本義広さんをお迎えし、弊社教育事業部からは事業部長の齋藤仁巳も登壇しました。教育睛隆塾の熟成の方々をはじめ、中高生から教育関係者、経営者など、多様な立場の参加者が一堂に会しました。

学びは、楽しい。“好き”が学びに活力を取り戻す。

イベント前半では、「学びにおける“活力”と日本の実情や課題」をテーマに、参加者同士によるペアディスカッションが行われ、さまざまな意見が交わされました。

苫野さんは、「教育とは何か。それはどうあれば“良い”と言いうるのか(苫野さん)」という根源的な問いから議論を始める必要があると語りました。

「日本だけでなく、世界中で“教育は何のためにあるのか”を根本から問い直している国はほとんどありません。多くの国が、いわば羅針盤を失ったまま教育を続けているような状態です。まず、“そもそも”を問い直すことが、新しい教育を考える第一歩だと思います。(苫野さん)」

この“そもそも”の問いこそが、学びに本来の「活力」を取り戻すカギだと語りました。

高校生の参加者からは、次のような声が寄せられました。

新しいことに挑戦する第一歩は重く感じますが、“好き”という感情があれば、その労力を苦にせず没頭できます。“好きという魔法”こそが、学びの活力なのではないかと思います。(参加者/高校生)」

この言葉に対して、辻本さんも現場感覚を交えつつ共感を示しました。

「子どもたちは今、自分の“好き”を見つける時間が足りていません。学校教育が“教科指導”中心になるあまり、学びの多様な機会を提供できていない現状があります。(辻本さん)」

また、探究学習の中で「問いを立てなさい」と強制される、“問いハラスメント”にも警鐘を鳴らしました。

「子どもたちは大人の設計したカリキュラム——いわば“大人時間”を過ごしすぎています。教育現場においても、子ども自身が自分の“好き”を見つける余白が必要ではないでしょうか。(辻本さん)」

教科を教えるだけでなく、子どもたちが没頭できることを探す機会づくりも、教員の役割であると述べました。

初田さんは、子どもたちが「主体的・挑戦的・協働的」に学ぶことの大切さを強調しました。

子どもたちは本来、主体的に学んでいます。そして、ただの主体性にとどまらず、挑戦的に学びを深めている。さらに、仲間とともに課題を解決しようとする“協働性”も持っているのです。(初田さん)」

そのような学びを支えるためには、場づくりが不可欠であるとし、子どもが自ら学び、挑戦し、協働して課題に取り組める環境が必要だと訴えました。

ー苫野さんー

苫野さんは、子どもたちが「好き」に出会うためのアプローチとして「投網漁法から一本釣り漁法へ」という比喩表現を使って紹介しました。

まずは幅広くさまざまな経験を“投網”のように試してみる。好きな本を読む、音楽を楽しむ、ゲームに夢中になる——なんでもいい。そこから“これだ!”という対象に出会ったら、“一本釣り”して、徹底的に没頭すればいいのです。(苫野さん)」

また、「学びには忍耐が必要」という一般的な意見についてもこう述べました。

忍耐には2種類あります。『能動的忍耐』は、好きなことを実現するための努力であり、自然に湧き上がるもの。反対に『受動的忍耐』は、やりたくないことを我慢させられるもの。現在の教育は後者に偏りすぎています。(苫野さん)」

強制ではなく、子どもたちが活力を持って、主体的に学びを求めるような、新しい教育の実現が必要だと語りました。

これからの教育に必要なこと。教育者に求められるもの。

「よりよい教育とは何か」という根本的な問いを踏まえ、続いては「そのような教育はいかに実現可能か?」をテーマに議論が展開されました。特に焦点となったのは、教育現場における「対話」の重要性と、成果主義からプロセス重視への転換、そしてそれを支える社会のあり方でした。

「教員自身が探究できているか、職員室に活力があるか?――これが最初の問いです。(辻本さん)

辻本さんは、教育の現場においても「対話」という言葉が使われる機会は多いが、その定義が曖昧であると指摘します。

「『対話』は、ただのコミュニケーションや議論とは異なります。自己評価の高い教員同士が“マウント合戦”になってしまっているのが現実です。(辻本さん)」

そこで辻本さんが示した「対話の3つの条件」は以下の通り:

  1.  1. 共通の了解や合意形成ができること
  2.  2. 相手の意見に傾聴・共感し、アイデアを掛け合わせられること
  3.  3. 新たな答えや方向性(=イノベーション)を生み出せること

この3つがそろって初めて「対話」と呼べると強調しました。

「“お互いの意見が聞けてよかった”で終わるのは、単なるコミュニケーション。教育文化に真の『対話』を根づかせることが必要不可欠です。(辻本さん)」と語りました。

初田さんは、教育事業部が展開する全日制フリースクール「類学舎」(https://ruigakusha.rui.ne.jp/ )の授業を体験した際に、小学生から高校生までが共通のテーマで意見を交わす場面に「学びの活力」を感じたと語りました。

いい教育に“正解”はありません。大人も正解がわからないんです。だからこそ、対話の場では、子どもも大人も“対等”であることが必要です。(初田さん)」

対話を成り立たせる根底には、年齢や立場関係なく、「安心できる場」があると強調しました。

さらには、生徒同士だけでなく、教員の姿勢や職員室の雰囲気も子どもたちに大きな影響を与えるとし、「活力ある職員室、大人同士の対話の文化が、子どもの学びの背中を押します(初田さん)」と述べました。

苫野さんは、かつての教育者・吉田松陰が大人、子どもも関係なく「共に国を考える仲間」として扱っていたことを例に挙げ、

「いい意味で“子ども扱いしない”ことが、子どもの能力を引き出すカギです。(苫野さん)」と語りました。

子どもの能力を引き出すために必要なのは、失敗しても大丈夫と思える“安心の土台”であり、それを支えるのは学校だけではなく社会全体だと指摘します。

「教育の問題を“学校の先生の責任”だけにしてはいけません。今は何かと教員へのバッシングが多く、萎縮してしまいがち。いわば不信のスパイラルに陥っています。これを、みんなで対話しながら支え合い、応援し合っていく。 “信頼と承認のスパイラル”に転換していく必要があります。(苫野さん)」と語りました。

教育を“競争の場”ではなく“共創の場”へ変えていくべきだという意見も多く聞かれました。

教育を“点数の成果主義”から“プロセス重視”へと変えていかないと、根本的な変革は起きません。(辻本さん)」と、辻本さんは指摘します。

現場では「入試があるから」「保護者の期待があるから」という理由で、成果主義が続いているのが実情です。

また、「賞罰的な指導」や「怒られないため・褒められるためにやる学び」は、本来の学びの楽しさを奪ってしまうと警鐘を鳴らしました。

「成績評価が学びの没頭を妨げていることは、すでに多くの研究で明らかになっています。(初田さん)」

“競争”は、時として“足の引っ張り合い”になりかねません。一方、“共創”の中では“助け合い”が生まれ、学びの 活力が育まれると初田さんは語ります。

「もう“ほぼ全入時代”。高校入試をやめて、生徒が“行きたいところに行く“仕組み”にしていく必要があるのではないでしょうか。(初田さん)」

最後に苫野さんは、これからの教育を担う者に求められる4つの力を提示しました:

  1.  1. 教育の本質を深く考え抜いていること
  2.  2. 教育の歴史に精通していること
  3.  3. 世界の教育事情に精通していること
  4.  4. 教育の実証研究に基づいた判断ができること

これを踏まえ、教育理論や前提知識が共有されていないことが、現場での“教育論のぶつけ合い”に繋がってしまっていると指摘しました。

“根拠は俺/私”では、教育は語れません。多様な理論を理解し、科学的な根拠を持った上で、自分の実践と結びつける必要があります。(苫野さん)」

教育を変えるには、まず大人自身が変わること。学び続ける姿勢を持ち、対話の輪を広げ、共通理解をもって次の行動にうつしていくこと。「共に未来をつくる」意識が、次代の教育の土台になるのかもしれません。

イベントの最後には、登壇者の皆さんから、それぞれの立場で本日の気づきと今後への示唆を語っていただきました。個人の内省にとどまらず、教育の未来に向けた希望や課題が力強く語られ、学びを深める締めくくりとなりました。

教育における変革のカギは、「大人たちが学び続ける姿勢」にあると齋藤さんは語ります。

「教育関係者だけでなく、企業の方々も巻き込みながら、学校の内外の垣根を超えて学び合える場をつくっていくことに、大きな可能性を感じます。(齋藤さん)」

そのような場が、結果的に子どもたちの学びにも好影響をもたらすとし、「教育の未来を切り拓く一歩になる」と力強く語りました。

初田さんは、「教育は社会的格差をなくす手段である——そう信じて実践してきました。しかし現実には、教育が格差を再生産してしまっている側面も否定できません。(初田さん)」

と語りました。

社会経済的背景(SES)と学力の相関は明確であり、現実の教育はこの問題に正面から向き合う必要があります。

その中で初田さんが強調したのは、教育実践者に求められる“研究マインド”です。

教育は再現性の低い営みです。だからこそ、何が効果的かを常に検証し、実践し続ける姿勢が必要だと思います。(初田さん)」

また、現場には“うまくいった”経験が過剰に一般化されてしまう傾向があり、そこに対しても謙虚な自己評価が必要だと訴えました。

辻本さんは、「今の教育が“学びを苦業化”してしまっている」現実を直視し、 “マインドリセット”の必要性を説きました。

我々は“社会に適応する人材”を育てるのではなく、“社会を創る人材”を育てるべきです。(辻本さん)」

学校教育が成果主義・競争主義に基づく画一的な価値観にとらわれている限り、子どもたちは“学ぶ楽しさ”を失い、自分の人生を自分で選び取る力も育まれません。

また、教員採用のあり方にも課題があるとし、

「教育に変革の意志を持つ若者が民間教育に流れ、学校現場には、古い教育の価値観を良しとする人が集まりがちです。(辻本さん)」

と、制度の改革と人材の意識改革の両輪が必要であると語りました。

苫野さんは、教育を人類の長い歴史の中に位置づけ、「教育とは、人間が人間であるために続けてきた本質的な生命活動である」と語りました。

「たとえば、イヌイットが雪の家を建てる技術も、ネイティブ・アメリカンがキャッサバの毒抜きを行う知識も、教育によって何世代にも渡って継承されてきたんです。(苫野さん)」

この“長い時間軸での教育”という視点は、現在の教育制度をどう見直していくかを考える上でも重要な手がかりになります。

苫野さんは、150年前に生まれた公教育制度を「当時のイノベーション」と位置づけつつも、現代ではその仕組みが限界にきていると指摘しました。

同じことを、同じペースで、同じ方法で教える“ベルトコンベア型”教育は、今や多くの子どもを苦しめる原因になっています。(苫野さん)

今こそ教育の本質に立ち返り、誰もが自由に学び、認め合える教育へと舵を切るべきだと語りました。

さらに、現在、自治体レベルでの変革が各地で始まっており、そのネットワークが、これまで例を見ないほどの広がりを見せていることに触れ、

「15〜20年後には、“キャズム(障壁)”を超えて、一気に新たな教育のうねりが社会全体に広がるでしょう。(苫野さん)」

と、力強い“未来予言”で締めくくりました。

終わりに

本イベントを通じて繰り返されたキーワードは「そもそも」「対話」「好き」「活力」「安心」、そして「共創」。

教育は制度や形式の話にとどまらず、人と人との関係性そのものであり、時代や社会をつくる根源的な営みであることが、あらためて浮き彫りになりました。

変革のカギは、大人たちの学び合いとマインドリセット、そして社会全体で子どもを支える姿勢にあります。それぞれの立場から教育を構想し、つながりながら未来を描いていく。本イベントは、その希望と可能性に満ちた第一歩となりました。